
その可憐な歌声、容姿の美しさも印象的な"北欧の歌姫"ことビアギッテ・ルゥストゥエア。
(※インタビュアー:丸山 雅生 (production dessinee) )
- - -
プロダクション・デシネ(以下:pd)
こんにちは、ビアギッテ。今日はあなたにインタビュー出来てとても光栄です。
ビアギッテ・ルゥストゥエア(以下:B)
ハロー、マサオ、こちらこそ今日はヨロシクね。私もとても嬉しいわ。
pd:
ではまず、簡単に自己紹介からお願いします
B:
私の名前はビアギッテ・ルゥストゥエア。1946年2月15日、デンマークのオーフスと言う都市の生まれよ。私は子供の頃からいつも歌っていたわ。私の母もシンガーでピアノも弾いていたわ、父も歌とヴァイオリンをやっていたし、二人の兄はそれぞれギターとサックスをやっていた。家にはいつも、音楽好きなゲストが集まって来て楽しかったわ。その後、音楽学校でも歌を学んだわ。その頃にはよく兄達のレコードも聴いていたわね。オスカー・ピーターソンとか、スタン・ゲッツとか。主にモダンジャズが好きだったわ。シンガーなら、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ナンシー・ウィルソン辺りが好きだったわ。
pd:
音楽を始めたのはいつ頃で、どう言うきっかけがあったの?
B:
私は日記を付けていて、その中には沢山の夢や問いかけが記してあったわ。ちょうど12歳の時に書いた夢の一つが「ジャズシンガーになりたい」って言う事だったの。もしそうなりたいって思ったら、集中して努力をしないといけないと思ったの。だから、日記に書いたんだと思うわ。それから、15歳のときに私のキャリアは始まったの。
pd:
プロのシンガーとしてのキャリアはいつ頃から?
B:
私は沢山のTV番組やラジオに出演して歌うようになったの。それをきっかけに、デンマークの『RCA』からデビューしないか?と言う話が来たの。1966年のシングルが最初だと思うわ。それからは、プロのシンガーとして『RCA』で"ポップ・ソング"を歌うようになったの。いわゆる"ポップ"、"イージー・リスニング"って言うジャンルになるかしら。その傍らで、ジャズシンガーとしての活動も続けていたわ。その頃からThe Danish Radio Big Bandでよく歌っていたし、他にも、ノルウェイや、スウェーデン、オランダなんかのTV番組でも歌っていたわ。
pd:
誰か、プロとしての活動を勧めてくれた人やきっかけがあったの?
B:
いいえ、全ては偶然だったわ。
pd
デビューした当時のビアギッテにとってのアイドルは?
B:
やっぱり、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ナンシー・ウィルソンね。
―デビューアルバム『ビアギッテ・ルゥストゥエア (1970)』について―

pd:
さっきの質問でもあったように、デビューアルバムはいわゆる"ポップ・ミュージック"と言うカテゴリーの作品だと思うけど、このアルバムのコンセプトはどう言うものだったの?
B:
そうね、アルバムが制作された当時、すでに私にはデンマークでのNo.1ヒットがあったの。クリス・アンドリュースの「Pretty Belinda」のカヴァー曲「Smilende Susie」がそうなんだけど、きっと『RCA』は、同じコンセプトのカヴァー曲をデンマークのファンに聴かせたかったんだと思うわ。もちろん、それでヒットを狙ったてたのは間違いないわ。だから、"ポップ・ミュージック"中心の内容になったのだと思うわ。
pd:
このアルバムには、いわゆるブラジル音楽、ボサノヴァのテイストと、かなりジャジーなアレンジメントが含まれているけど、例えば、セルジオ・メンデスやアストラッド・ジルベルト、A.C.ジョビンなんかの世界的にヒットしていたブラジル音楽の影響はあったの?
B:
良い質問ね。確かに、大きな影響を受けているわ。私自身もその当時、よくそう言う音楽を好んで聴いていたわ。
pd:
このアルバムは商業的にも成功したの?それと、僕の知る限り、この当時の北欧のポップシンガーの作品にはブラジル音楽の影響を受けたものが結構あるともうのだけど、当時はそう言うトレンドがマーケットにもあったの?
B:
そうね、このアルバムは商業的にも成功したわ。それと、ブラジル音楽の影響はこの当時高まりつつあったわ、特にジャズミュージシャン達の間で。
pd:
アルバムの中の2曲のブラジル音楽のカヴァー「Christina (Tristeza)」と、「Vores eget lille sted (Pretty World=Sa Marina)」は、日本でも大変人気があるんだけど、それについてはどう思う?
B:
私もその二曲は大好きだから嬉しいわ。日本のファンが気に入ってくれてるなんてステキだわ。
pd:
このアルバムのレコーディングの時の事で何か覚えている事はある?特に面白かったこととか。
B:
う~ん、ごめんなさい、特に覚えていないの。
―2ndアルバム『レディ・トゥ・ミート・ユー (1970)』について―

pd:
『RCA』でのアルバムと、その後に制作された『Artist』レーベルでの2作品の大きな違いはあるの?
B:
『ビアギッテ・ルゥストゥエア (1970)』とのもっとも大きな違いは、『Artist』での2枚のアルバムは、オリジナル曲が主体になっている事ね。作曲家/プロデューサーのTom Prehnと、作詞家のSv. Aa Madsenのコンビが楽曲を手掛けているの。あと、レコーディングの方法もこの当時のデンマークではとてもユニークな手法だったわ。
pd:
どうしてレーベルが変わったの?
B:
変わっていないわよ。この当時も『RCA』での活動とリリースは続いていたわ。二つのレーベルと契約していたと言う事ね。平行した活動だったけど、全く問題は無かったわ。
pd:
このアルバムのメインコンセプトを教えて
B:
Tom PrehnとSv. Aa Madsenは友人だったの。当時、欧米ではバート・バカラックとハル・ディヴィッドのソングライターチームが、ディオンヌ・ワーウィックを手掛けてヒットしていたんだけど、彼等が「僕らもこれをやろう」ってなったの。それで、私に歌ってもらえないか?と言うオファーが来たと言う事ね。Tomの事は古くからジャズのライブなどを通じて良く知っていたから、快諾したわ。
pd:
このアルバムは、美しいジャケットも印象的だけど、どうしてこう言うコンセプト(セミヌード)になったの?アルバムのコンセプトでもあったの?
B:
時代性やトレンドもあったんだと思うわ(もしトップレスでビーチに横たわる勇気があればね...)。私自身はシャイだからホントはイヤだったんだけど、フォトグラファーの注文だったの。ただ、確かに仕上がりはとても美しくて良かったわ。残念なのは、この時、このジャケットのおかげで少し騒ぎがあったことね。とてもショックだったわ、だって全く意識していなかったことだから。
pd:
プロデューサーのTom Prehnについておしえてくれる?
B:
彼はジャズミュージシャンよ。アヴァンギャルドなジャズバンドをやってたりもしたわ。あと、オーフスの音楽大学で音楽を教えているわ。
pd:
このアルバムのレコーディングの時の事で何か覚えている事はある?特に面白かったこととか。
B:
このレコーディング・セッションはとても楽しかったわ。いつもみんな笑っていて、とても幸せな時間を過ごしたわ。
デンマークの人達はなんでもかんでもキッチリと分けたがるの。例えばジャズならジャズ、ポップスならポップスって言う具合にね。でも私は両方を楽しみたかったの、だからそうして来たわ。二つのイスに同時に座ると言う事は、難しいって事ね。
―3rdアルバム『ラブズ・ラビリンス (1971)』について―

pd:
『ラブズ・ラビリンス (1971)』と、『レディ・トゥ・ミート・ユー (1970)』はかなり近いフィーリングのアルバムだと思うのだけど、例えば姉妹のようなこの二つに、大きな違いはあったの?
B:
いいえ、あなたの言う通りよ。この二つの作品は、とても似ているし、同じコンセプトの下で制作されたわ。
pd:
このアルバムには、エルトン・ジョンとバカラックの楽曲、2曲のカヴァー曲が含まれているけど、これは誰が選んだの?
B:
これは、みんなで相談して決めたの。「All kinds of people」は良い曲だし、もちろんエルトン・ジョンのナンバーも大好きよ。
pd:
このアルバムのジャケットのフォトセッションはどうだった?少し寒そうにも見えるけど
B:
この時は素晴らしかったわ。ただ、確かに少し寒かったわね。私の記憶だと、8月の終わりか、9月だったと思うわ。もう海の水は冷たかったから。
pd:
このアルバムでは、特にストリングスのアレンジが美してドラマチックだけど、レコーディングのときはどんな気分で歌っていたの?
B:
この時はいつでもリラックス出来て楽だったわ。私がスタジオに入る前に、いつもTomがしっかりとリハーサルを終わらせてくれていたので、とても気持ち良く歌えたわ。
pd:
同じ質問だけど、このアルバムのレコーディングの時の事で何か覚えている事はある?特に面白かったこととか。
B:
そうね、やっぱり 『レディ・トゥ・ミート・ユー (1970)』 と同じね(笑)。とても楽しく、いつもイイ雰囲気だったわ。
pd:
『Artist』レーベルについて教えてくれる?
B:
『Artist』はその時の有名な出版社が運営していたレーベルね。残念ながら今はもう存在していないの。
―4thアルバム『フェイヴァリッター (1972)』について―

pd;
この後にリリースされた『フェイヴァリッター (1972)』は編集盤?
B:
そうね、『RCA』でリリースしていたシングル盤を集めた作品ね。
- - - -
pd:
僕の知る限り、幾つかのシングルを除いては、この後1983年までアルバムはリリースしていないよね?この約10年間はどんな事をしていたの?
B:
この頃は、TV番組やラジオ番組を作っていたりしたわ。平行してThe Danish Radio Big Bandで歌ったり、ライブに出演したり。夏には劇場で歌っていたりもしたわ。
それと、アートに興味を持ち出して、芸術学校に通うようになっていったの。この頃には、夫のポールと自宅にスタジオを作って録音をしたりもしたわ。1983年のポールとのアルバム『Ojeblikke』もこの頃に録ったものね。
pd:
差し支えなければ、旦那さんのポール・フレイバーについても教えてくれる?
B:
私の夫のポールは、北欧で最も優れたギタリストの一人として知られているわ。他の楽器もマルチにこなせるけど、ギタリストとして北欧の有名なアーティスト達とかなりの仕事をしているわ。それに、ヒーリング・ミュージックを作ったりもしているわ。最近では、ギターの講師なんかもしているわね。
私たち、スウェーデンの国営テレビの仕事で初めてレコーディングスタジオで出会ったんだけど、お互いに完全に恋におちたわ。スウェーデンに移動する車の後部座席ではいつも一緒で、その時から今までずっと一緒にいるわ。
pd:
1960年代から70年代にかけての楽曲の中で、ビアギッテの好きなナンバーを教えて
B:
「Christina」と、「Vores eget lille sted」、それに「Oh!」や「My Snowman」は大好きよ。でも、とてもしぼりきれないわね。
pd:
1970年代には、上記のアルバムの収録曲を中心としたコンサートは行っていたの?
B:
「Vores eget lille sted」や「Sitting on the dock of the Bay」なんかはよくスウェーデンのTV局のコンサートでよく歌ったけど、残念ながらバックミュージシャンのリハーサルの都合で、Tomが書いた曲は殆ど歌えなかったわ。私がコンサートに出演しなくなったのも、この辺に理由があるの。
pd:
ビアギッテが動物達と遊んでいる写真や画像をよく見かけるのだけど、動物は好き?今まで一番仲の良かった子は?
B:
動物は大好きよ!二匹のゴールデンレトリバーを飼ってた事もあったし、もう居なくなってしまったのが残念だけど、この13年は"ルーファス"と言う名前の猫とずっと一緒だったわ。でも、今年の冬からは、庭で小鳥にエサをあげたりしているわ。まるで天使の様よね。
pd:
現在のビアギッテと、これからのビアギッテについて教えてくれる?
B:
今までは歌う事が私の人生の一部だったわ。でも、今は画家として絵を描く事が好きだから、これからも絵を続けていきたいの、私は何かを作り出すのが好きだから。そうそう、私は日本のアート・カルチャーが大好きよ、とても美しいわ。
pd:
ビアギッテ、沢山の質問に答えてくれてありがとう。最後に日本のファンに何かメッセージを!
B:
もう皆さん気付いたか知れないけど、私は日本の文化が大好きなの。遠く離れたデンマークから届いた私の歌声を気に良いってくれる日本の音楽ファンのおかげで、とても幸せな気分だわ。わたしにとって、とても誇らしい事だし、いつか、日本を訪ねる日が来る事を心から願っているわ。
ありがとう。
(2010年3月)
- - -
ビアギッテ・ルゥストゥエアの最大の魅力は、その天使のような歌声にあると思うが、プロデューサー達のセンスの良さ、バックを支えたジャズマン達の力量、優れたアレンジもまた、彼女が残した素晴らしい作品達を際立たせている。ただ、今回のインタビューで分った事がある。それは、何より"彼女は歌う事が大好き"、と言う事だ。もし彼女の作品に、他の1970年代のポップスと少し違う、"素敵な何か"があるとしたら、ビアギッテ・ルゥストゥエア自身の、歌う事への大いなる愛情なのでは無いだろうか?それを体現し、作品として音溝に刻む込む事は、決して簡単な事では無いと思う。だからこそ、ビアギッテ・ルゥストゥエアの作品達は、いつ聴いても"スペシャル"なのだろう...。
© 2012 production dessinee